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大阪高等裁判所 昭和50年(行コ)46号 判決 1977年11月30日

控訴人(原告) 花屋敷温泉土地株式会社

被控訴人(被告) 川西市

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

一  控訴代理人は、「原判決を取消す。原判決添付別紙目録記載の土地につき被控訴人が昭和三九年三月二五日した川西市道寺畑満願寺線の道路区域の決定および供用開始の各行政処分が無効であることを確認する。被控訴人は控訴人に対し金六〇〇万円を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、主文同旨の判決を求めた。

二  当事者双方の主張および証拠関係は、次に付加、訂正するほか、原判決事実摘示のとおり(ただし、原判決八枚目表一二行目に「奥田源次郎」とあるのを「奥田源治郎」と訂正する。)であるから、ここにこれを引用する。

1  控訴人の主張

(一)  本件道路供用開始処分にはその有効要件たる権限取得行為が存在しない。

(1) 道路を建設する場合には、道路管理者は当該道路を構成する土地について何らかの権限、すなわち、道路法上の道路として使用することを正当ならしめる法律上の根拠(原因)を取得することが必要であり、右権限の取得の態様としては、所有権を取得することが原則である。換言すれば行政主体は私法上敷地につき原則として所有権を取得し、その取得した所有権の権能に基づき、はじめて公法上公物として公共用に供しうるに至るものというべきである。けだし道路はその性格上継続して半永久的に公共の用に供されるものであるから、道路管理者は道路の建設に当つてはできるかぎり完全な権限―全面的支配権たる所有権―を取得すべきであるからである。したがつて道路管理者は道路となるべき敷地につき土地所有者との間で任意買収交渉をして買収により所有権を取得し、もし右交渉が不調の場合には、一方的強制手段として土地収用法上の起業者として同法により土地収用裁決申請をし、収用裁決を得たうえ補償金の支払を了して、収用により所有権を取得するのが通例であつて、建設省道路局においてもそのように指導している。右権限の取得は所有権の取得のみでなく、これに準ずる支配権、すなわち、地上権、賃借権または使用借権の取得をもつて足りると解されるが、このような事例は大正時代以降絶無であるといつても過言ではない。

これを要するに道路が道路として成立するためには、供用開始行為が必要であり、これが有効に成立するためには、その前提として道路となるべき敷地について所有権またはこれに準ずべき支配権が取得されていなければならないのであつて、他人所有の土地について何らの権限を取得することなく道路の供用を開始することは許されず、かかる供用開始が当然に無効であることはいうまでもない(美濃部達吉「行政法撮要」下巻一六八頁、最高裁判所昭和四四年一二月四日第一小法廷判決、甲第四号証の一、二、第五号証、第六号証の一、二参照)。

ところが被控訴人は昭和三九年三月二五日本件土地につき川西市道として供用開始したにかかわらず、これにつき所有権またはこれに準ずべき支配権を何ら取得していないのであり、権限取得行為が存在しない以上、供用開始処分は当然に無効である。本件事案の核心は権限取得の有無の一点に尽きる。

(2) 被控訴人は原審において、花屋敷地区路線の本件1ないし3の土地につき、「川西村が村道として路線の認定をするについては、もと土地所有者であつた桃園温泉土地株式会社が同意したものである。」と主張(答弁書、第二準備書面)し、さらに「大正九年以来被控訴人(川西村、多田村)が道路として占有管理するに当り、本件土地のもと所有者がこれに同意したものである。」と主張(第五準備書面)し、原判決は「村道として占有管理することに土地所有者が同意していたことを推認することができる。」とし、「本件土地につき権原に基づき村道として使用し得る権能」を取得したと認定している。右判旨内容は甚だしくあいまいであるが、仮に土地所有権に対し私法上の占有権を取得したと認定しているとしても、占有権の取得をもつて権限取得行為ということはできない。また、土地所有権に対する私法上の管理権とはいかなる権利設定をしたかすら明らかでない。仮に公法上道路管理の権限を取得したと認定したものとすれば、道路管理の権限があるがゆえに道路管理は有効適法であると認定したことに帰し、自己矛盾の判旨というべきである。

被控訴人は、当審において、「占有管理の権限とは、本件土地を道路敷地として事実的に支配し(占有の意義)、かつその性質を変更させず、保存、利用、改良する権限(管理の権限)を意味するものである。」と主張するが、被控訴人が仮に右のような占有管理の権限を取得したとしても、供用開始の有効要件たる権限取得行為に当らないことは明らかである。被控訴人の見解に従えば、権限取得行為に先だち従来の様式による起工承諾書を徴すれば、当然当該土地の占有管理権を取得し、したがつて供用開始の有効要件を具備し、これにより公用制限を受けるから、返還の必要も損害賠償の必要もないことにならざるを得ないし、また、最近に至り改正された様式による起工承諾書を徴すれば、行政主体は道路敷地の使用権を取得し、供用開始の権限を取得して公用制限をなしうることとなり、いずれの場合も買収も収用もその必要はなく、事実上没取とほぼ同一の効果を生ずるという結果となり、土地収用法は無用のものとなる。しかるに本件土地についてはかかる起工承諾書すら存在しない。

(3) 仮に占有管理権限の取得が供用開始の有効要件にあたるとしても、原審挙示の証拠によつては、かかる占有管理権限も推認し得ない。

(ア) とくに前提となる重要な点を挙げれば次のとおりである。

(A) 道路法上の道路は国道、府県道、市町村道に限られ、その路線数も限られており、それ以外の俗に道路と呼ばれる道路(不動産登記法上地目を「公衆用道路」と表示されるものの大多数、道路位置指定を受けた道路、私人の築設した通路、山道、農道など)は道路法上の道路ではなく、数限りなく存在すること

(B) 道路法上の道路の敷地の所有権が当該行政主体に属しない事例は、さきに一言したとおりきわめて稀有であり、国道、府県道についてはその例は絶無であること

(C) 道路認定や供用開始により道路敷地の所有権その他の支配権を取得するいわれはなく、いわんや道路認定に対する認可、あるいは道路区域の変更、その認可により権限取得がなされることはあり得ないこと

(D) 道路法上の道路以外の道路についても税法上非課税として取扱われること

(E) 道路位置指定処分においてすら、所有者の承諾なきかぎりその処分は当然に無効であること

(F) 用地の買収は民法の売買にすぎず、土地収用においては行政主体は公共事業の認定を受けたうえ、裁決申請をなしうるのみであること

(イ) 花屋敷地区路線について

(A) 控訴人の前身(旧商号)である新花屋敷温泉土地株式会社は大正一三年一二月二七日から昭和六年一月二六日まで無軌道電車運転のため当時の「花屋敷線」の道路の占用許可を受けた(乙第一五、一六号証)ものであるが、その専用軌道敷である本件1ないし3の土地が右「花屋敷線」の道路敷地であつたとの証拠は全くなく、かえつて右「花屋敷線」の道路は以前からあつた曲折した道路を指称し、新たに作られた右軌道敷そのものではなく、「花屋敷線」と右軌道敷が交叉する部分について道路占用許可の問題が生じたと考えられる。このことは訴外花屋敷土地株式会社(控訴人とは全く無関係の会社)が昭和二年六月九日土地分筆申告した分筆地の一部が右軌道敷である本件1ないし3の土地であること(乙第四四号証)、右土地が道路占用許可を受けた道路敷地であるとすれば、公用制限により無価値に等しく、これが右分筆の二年後に右訴外会社と控訴人の前身(前商号)である日本無軌道電車株式会社との間で売買の対象とされる道理もないことからも窺うことができ、いわんや右訴外会社が右分筆よりも約五年も以前の大正一〇年七月二八日ころ川西村に対し本件1ないし3の土地(分筆前の三筆の土地の一部)につき占有管理権限を付与したというがごときは通常あるべき理はない。

(B) 川西村長が大正九年一二月四日第四五二号線ほかの村道路線の廃止につき、同村会に諮問してその決議がなされている(乙第三八号証)が、当該路線が不用となれば廃止することは当然であつて、路線の廃止があるからといつて当然これに代わるべき新路線を築設したとは限らないし、いわんや新路線につき権限取得をしたとの証拠となるものではない。

(C) 訴外金商又一株式会社はその所有の字北ノ山七番一、同番二土地につき昭和三八年に至り訴外株式会社三菱銀行に対し極度額八、〇〇〇万円の根抗当権を設定している(乙第三四、三五号証)。川西村が大正一〇年に右土地についても占有管理権限を取得し、花屋敷地区路線として供用開始し、公用制限が働いているとすれば全く無価値の土地に帰している筈であり、右のような多額の根抵当権が設定される道理はない。

(D) 本件2の土地については土地台帳上軌道敷と記載され、昭和五年八月免租地成通知を受け(乙第二六号証、第四〇号証の三)、登記簿上も雑種地と地目変更され(乙第一号証)たが、本件1および3の土地については、所轄伊丹税務署は免租地成通知をせず、そのため地目は田または畑のまま放置されていた(乙第二、三号証)ため、有租地として地租が賦課されていた(乙第二四、二五号証、第四〇号証の一、二)。このことに気付いた日本無軌道電車株式会社は昭和七年一月一八日同税務署宛無租地成申告をした(乙第四七号証)。このことは本件1ないし3の土地を川西町が占有管理していた何らの証拠となるものではない。

(ウ) 多田満願寺地区路線について

(A) 多田村長が大正九年四月一日川辺郡長に対し路線認定認可申請をし、同郡長がこれを認可し、また、多田村長が昭和六年八月八日兵庫県知事に対し町村道路変更認定につき認可申請をし、同知事が同月一八日これを認可している(乙第一八号証、第一九号証の一、二、第二二、二三号証)が、路線認定の認可、路線認定変更についての認可はいずれも行政庁と下級行政庁間の内部の問題であり、認可があつた事実は多田村の占有管理権限の取得につき何らの証拠となるものではない。

(B) 多田村は昭和七年八月二六日西万年阪八番七田二九平方メートルを控訴人に払下げている(乙第三九号証)が、廃道敷を払下げることは当然のことに属し、通常隣地所有者に対しなされるものであり、かかる払下をもつて本件4ないし10の土地につき占有管理権限を取得したことの認定資料とすることはできない。

(C) 本件4ないし10の土地につき昭和六年一二月二八日免租地成通知がなされている(乙第二七ないし三三号証、第四〇号証の四ないし一〇)が、道路認定をした以上、多田村が免租地成措置を講ずることは当然であつて、権限取得行為の有無とは無関係である。多田村がほしいままに路線認定をしたためかかる措置がとられたものと思料される。

(4) 無軌道電車ならびに軌道敷について

川西市道花屋敷地区路線および同多田満願寺地区路線(本件1ないし3の土地および本件4ないし10の土地)と接続しこれらの中間に狭まれて事実上一本道として存在する道路、すなわち、宝塚市切畑字長尾山二の四二一番地先を起点とし、同所五の四九番地先を終点とする延長一、九四五メートル、実測面積六、六一五平方メートルの道路(合筆後の同市花屋敷つつじが丘一二三番雑種地、公簿面積六、〇六九平方メートル)は、もと軌道敷で、日本無軌道電車株式会社の所有に属していた(甲第一、二号証)。しかるに宝塚市は右道路を宝塚市道一、三一四号線と認定したうえ、その道路区域の指定、供用開始処分をしたので、控訴人は、本件におけると同様、宝塚市に対し右処分の無効確認を求める訴訟を提起して係争中であつたところ、行政事件訴訟の性質上、事実上の和解勧試がなされて右両者間に和解が成立し、昭和五〇年一二月一一日同市の希望に従い、宝塚市土地開発公社に右道路を売渡して同時に右訴訟を取下げ解決した(甲第七号証)。このように同一人の所有に属する事実上一本の路線敷地のうちその大半を占める土地(宝塚市道にあたる土地)は権限取得行為なしとされ、他のわずかな土地(川西市道にあたる土地)はこれありとされる等のことは通常あるべき道理はない。

日本無軌道電車株式会社は従来の所有地である右宝塚市道にあたる土地および川西市道のうち多田満願寺地区路線にあたる土地(本件4ないし10の土地)に加え、昭和四年一〇月九日前記花屋敷土地株式会社からその所有の川西市道のうち花屋敷地区路線にあたる土地(本件1ないし3の土地)を買収し、右土地全部を軌道敷として無軌道電車の運転業務を開始し、昭和六年一二月その業務を休止するまで右軌道敷上全線にわたり無軌道電車を運転していたものであり、本件1ないし10の土地は軌道法九条にいわゆる「軌道経営者の新設した軌道敷地」すなわち専用軌道敷地である。また、本件4ないし10の土地については昭和六年一二月二八日公衆用道路として免租地成決定を受けたとはいえ、あくまでも私道であり、もとより道路法の適用を受けるものではなく、登記簿上地目が公衆用道路であるからといつて、公共団体はこれにつき権限取得行為なくして適法な道路供用開始処分をなしうるものではない。

(二)  被控訴人の当審における主張についての反論

(1) 花屋敷地区路線について

被控訴人が花屋敷地区路線敷地(本件1ないし3の土地)について、交換によりその所有権を取得したとの点は否認する。前記花屋敷土地株式会社は住宅経営、いわば土地開発を業とするいわゆる土地会社であるところ、土地開発にあたつては、近時ニユータウン等の建設においてみられるごとく、当時も山丘地を削り低地を埋める方法がとられ、山道、里道、町村道が削り取られ、埋立てられ、さらに宅地区画に見合う新道路が築設されることとなるのは当然であり、この場合起業者は完成した私有新道路敷と公簿上の不用道路敷との交換を願い出るのが通常であるから、右会社が昭和四年四月二〇日かかる交換願を提出したであろうことは窺えないではない。しかし被控訴人主張の土地交換願(乙第四八号証の一、二)に含まれる道路は、宅地区画内の他の一般道路であつて、本件1ないし3の土地に関するものではない。このことは右会社が右交換願を提出した直後である同年一〇月九日に前記のとおり本件1ないし3の土地を日本無軌道電車株式会社に軌道敷として売却していることからも明らかでもある。

被控訴人は不用道路敷地について税務署の地番設定がなされたこと、同敷地の登記名義が個人名に移つていることをるる主張するが、不用道路敷はもともと不用であつて、おそらく現状は削り取られ盛土されて他人の住宅地となり、ただ敷地は登記名義上存在するか、あるいは地番設定さえなく官有地等として無登記であつた筈のものであり、道路管理者の立場からしても、また、地方財政の見地からしても、川西町が不用道路敷を払下げることは当然のことである。そしてかかる払下げの手続は相当な労力と経費を必要とし、担当吏員はこれに専念した筈のものであり、他方右交換願の完成道路敷に本件1ないし3の土地が含まれており、しかも登記承諾書までも添付されていたとすれば、川西町は右承諾書を添付して登記嘱託をするという一つの手続によつて、その所有権を取得できた筈である。川西町が不用道路敷につき地番設定し、保存登記をしたうえこれを払下げる等複雑な手続をしていわば土地を他に与えることに苦労を重ね、反面完成道路敷につきいとも容易な手続でなしうる取得登記手続を失念して土地を貰うことを忘れたというようなことは全く考えられない。したがつて右交換願の完成道路敷には本件1ないし3の土地が含まれておらず、もとよりこれについて登記承諾書が添付されていなかつたとみるのが自然であり、仮に右土地についても登記承諾書が添付され、登記手続のみ未了であつたとするならば、被控訴人においてこれを提出して立証を尽すべきである。

仮に右土地についても登記承諾書が添付されていたにかかわらず川西町が所有権移転登記手続をすることを失念したとしても、日本無軌道電車株式会社は昭和四年一〇月一〇日所有権取得登記を経由したのであるから、被控訴人は控訴人に対抗し得ないこともちろんである。

(2) 多田満願寺地区路線について

被控訴人主張の後記2(二)の事実中、多田村が昭和七年九月西万年阪八番七、同四番四、東万年阪一番九、同三番二二各土地を控訴人に払下げていることは認める。しかしながら右払下の事実があるからといつて、被控訴人が本件4ないし10の土地につき権限を取得したことにはならない。廃道敷が払下げられるのは当然のことであつて、右払下げられた土地の当時の現状は宅地ないし田であつたことは明らかであるから、かかる土地を廃道敷として払下げられることは何ら異とするに足りないし、また、国、公共団体は売却のことを払下と称しているのであり、売却と払下を別個の観念のごとく解するのは相当でない。被控訴人が本件4ないし10の土地につき何らかの支配権を取得したとするならば、永久保存されるべき議会の議決書類および登記承諾書が存在する筈であるから、進んでこれらの書類を提出して立証すべきである。

(3) 団地内の道路、通路が国、公共団体に寄附されるという実情は存しない。団地として造成された住宅地内の道路がすべて私道である例もあり、私道は前記のとおり到るところ無数に存在する。およそ国道、府県道、市町村道を問わず、道路管理者は買収または強制収用により道路敷地にあたる土地全部の所有権を取得していることこそ実情であつて、道路敷地中に民有地が一筆でも存在するがごとき事例は稀有である。まして道路敷地たる土地全部について所有権を取得していない道路管理者は絶無といつてよい。

(4) 被控訴人は本件2、3の土地の一部が他に譲渡されている旨主張するが、かかる主張は権限取得の有無に何ら関係がない。道路敷地に対する私権の制限は所有権の移転までも制限するものではなく、いわんや本件において道路敷地でないとして係争しているのであり、道路敷地でなければ道路管理権も道路警察権も存在しない。現時点において譲受入に対し道路警察権の発動があつたとすればそれこそ違法の疑いすら存する。しかも譲受人の所為はもとより控訴人の関知しないところである。

2  控訴人の主張

(一)  花屋敷地区路線について

(1) 本件1ないし3の土地の所有権は交換により川西町に帰属したが、その所有権移転登記が未了であつたものである。すなわち、訴外花屋敷土地株式会社は昭和四年四月二〇日川西町長に対し、川西町寺畑、栄根西谷村切畑字長尾山所属地内において、さきに同会社が住宅経営するについて一般の交通に供するために敷設した道路(完成道路敷)を町村道に認定のうえ、潰地は官有地第三種に編入されたく、右住宅経営地内に介在する町村道で前記道路新設のため自然不用に属する部分(不用道路敷)は上地する潰地の交り地として交換されたい旨の「完成道路敷ト不用道路敷ト交換願」(乙第四八号証の一)を提出しているところ、これに添付された実況図(同号証の二)には、右寺畑、栄根地区内に右会社により新設された道路および廃道となつた道路が図示されているが、本件1ないし3の土地は旧地名ではいずれも寺畑字北ノ山に属しているので、右新設された道路敷地に含まれており、また、廃道となつた道路として図示されている中には第四五二号線も含まれている。

(2) 川西町長は右交換願を受けて、同年五月一日寺畑区長、栄根区長に対し交換のため不用町道を廃止することについての照会をした結果、右両区長から廃止に支障がない旨の答申を受け(乙第四九号証の一、二)たので、同年七月二〇日付をもつて右交換について許可した。川西町は右交換により右会社に対して移転すべき不用道路敷については、右交換願において、右会社が数年前すでに解散決議をしているので、交換代地は前記交換地を受ける者へ会社に代え特別の取扱により交付されたい旨の申出があつたため、伊丹税務署からの新地番設定についての取調表に準拠して不用道路敷を分筆したうえ、右会社から買受けたと思われる各個人に対し川西町から直接所有権移転登記をなしたが、完成道路敷である本件1ないし3の土地については、これを川西町に所有権移転登記をなすべきところ、同町役場吏員がこれを失念し、右会社名義のまま放置し、同年一〇月九日控訴人の前身(前商号)である日本無軌道電車株式会社に移転登記されるに至つたものである。

(二)  多田満願寺地区路線について

多田満願寺地区路線は宝塚市道を挾んで前記花屋敷地区路線とつながる幹線道路であり、本件4ないし10の土地はその道路敷地であるが、多田村はこれを道路として占有管理するかわりに、従来村道として使用されていた一三号のイ線のうち、右新設道路に沿う部分の旧道路敷地、すなわち西万年阪八番七、同四番四、東万年阪一番九、同三番二二(その後に同番二三、同番三六、同番三七が分筆されている。)をいずれも昭和七年一月一五日多田村名義で保存登記したうえ、同年八月二六日控訴訴人に払下げ、同年九月二六日移転登記を経由している(乙第三九号証、第五八ないし六四号証)。右のように旧道路敷地ののすべてが控訴人に売却されたのではなく、払下げ(無償と考えられる。)られていることからみると、多田満願寺地区路線についても、花屋敷地区路線と同様に完成道路敷と不用道路敷とが交換され、後者が交換相手である控訴人名義に所有権移転登記されたにかかわらず、前者、すなわち本件4ないし10の土地について多田村への移転登記が、同村役場吏員の不注意により失念されていたのではないかと考えられる。

(三)  占有管理の権限とは本件土地を道路敷地として事実的に支配し(占有の意義)、かつ、その性質を変更させず保存、利用、改良する権限(管理の権限)を意味する。

控訴人は道路を建設するにあたつてはできるかぎり完全な権限(所有権)を取得すべきであると主張する。近年に至つて地価が高騰しているため道路を建設する場合所有者に正当な保障をする意味からいつて、このことは当然のことではあるが、その場合でも、土地開発業者が宅地造成をするにあたつて団地内の道路敷地はもちろん、そこに通ずる進入路の敷地についても、ほとんどすべて国または地方公共団体に寄附しているのが実情である。土地開発業者としては道路敷地部分の価格をも宅地分譲価格に加えて販売しているのであるから寄附によつて何らの損害も受けないのであり、むしろ将来の維持管理を国または地方公共団体に委ねて自己の負担の軽減を意図していることは明らかである。本件についてみるに、花屋敷土地株式会社、控訴人の前身(旧商号)である能勢口土地株式会社等の各土地開発業者は、当時の川西村(川西町)、多田村において住宅地の開発を行なうため道路を新設したのであつて、その敷地の価格は当時分譲した宅地価格に含まれているのであるから、すでに道路敷地価格に相当する金額ないし利益は控訴人が取得しているのであり、不当な損害を被つているのではない。本訴請求は二重の利得を求めんとするものであつて、その不当であることは明らかである。

(四)  次に花屋敷地区路線のうち、花屋敷一丁目一一四三番土地(本件2の土地)および同一一四四番土地(本件3の土地)は、いずれも昭和四六年一〇月二七日それぞれ同番一、同番二土地に分筆され同一一四三番二土地は同日訴外竝川亀野(控訴人のもと取締役)に売却され、同年一一月一二日同人に所有権移転登記が経由されている。右分筆された一一四三番二および一一四四番二土地はいずれも道路際に沿つた細い部分で、付近の住民が公道に通ずる道路として通行していた部分であるところ、控訴人は被控訴人が本件1ないし3の土地の買収に応じないことから、右部分を分筆して右住民の通行を妨害し、右住民が被控訴人に対し陳情を行なうことによつて、被控訴人に右買収に応じさせようとしたものである。現に控訴人関係者は右住民に対し、前記分筆にかかる道路部分に有刺鉄線によるバリケードを張り通行を認めない処置をとる旨の申入れをなし、右住民から被控訴人に対し善処方の要望があつたので、被控訴人吏員が川西警察署と相談のうえ、もし控訴人関係者が右のごとき処置をとつた場合、公道への通行妨害として断固たる措置をする旨警告したため、実際には通行妨害の処置はなされなかつたのである。

3  証拠関係<省略>

理由

被控訴人の本案前の抗弁については、当裁判所も、理由がないと判断するものであつて、その理由は、原判決理由第一(原判決八枚目裏二行目から同九枚目裏七行目まで)に説示するとおり(ただし、原判決八枚目裏四行目に「との主張」とあるのを「と主張」と訂正し、同七行目の「第二一号証、」の次に「同証人および」と挿入する。)であるから、右理由記載をここに引用する。

二 当裁判所も、被控訴人に対し本件行政処分の無効確認と本件土地占有使用による賃料相当損害金の支払を求める控訴人の本訴請求はいずれも失当として棄却すべきものと判断するものであつて、その理由は、次に付加、訂正するほか、原判決理由第二(原判決九枚目裏九行目から同一五枚目表一二行目まで)に説示するとおりであるから、右理由記載をここに引用する。

1  原判決一〇枚目表一行目の「宝塚市道を経て」の次に「川西市飛地」と、同一二行目の「第四七号証」の次に「第四九号証の一ないし三、第五〇、五一号証、第五二号証の一、二、第五三ないし五七号証、第六九号証」と、同裏一行目の括弧書きの次に「、弁論の全趣旨により成立を認めうる同第四八号証の一、二(同号証の一は官署作成部分の成立に争いがない。)」とそれぞれ挿入し、同二行目に「奥田源次郎」とあるのを「奥田源治郎」と、同五行目および八行目にそれぞれ「外」とあるのをいずれも「ほか」と、同六行目に「村市長」とあるのを「村村長」と、同一一行目に「起点」とあるので「終点」とそれぞれ訂正する。

2  同一一枚目表一行目から二行目の「告示していること、」の次に「大正八、九年」と、同二行目の「当時」の次に「川西村、多田村」と、「拡張され」の次に「たが、花屋敷土地株式会社も川西村寺畑地内等において住宅経営するについて、一般の交通に供するため道路を新設し、右新設された道路の敷地である右会社所有の本件1ないし3の土地について昭和二年六月九日所轄の伊丹税務署長に対し元番(北ノ山六番二、同八番、同一八番八)から分割する旨の申告をなし、これにより分割がなされ、他方同税務署長は昭和三年七月二一日川西町からの照会により右道路の新設により不明となつた道路敷について新地番を設定し、同年九月二〇日取調表を添付してこれを同町に通知したこと、ついで右会社は昭和四年四月二〇日川西町長に対し右新設した道路(完成道路敷)を町道に認定のうえ官有地に編入し、これと右住宅経営地内に介在する町道で右道路の新設により自然不用となつた部分(不用道路敷)とを交換されたい旨の交換願を、完成道路敷と不用道路敷とを表示した実況図を添付して提出したこと、川西町長は右交換願を受けて、同年五月一日寺畑区長らに対し交換により不用となる町道を廃止するについて照会し、これに支障がない旨の答申を受けたので、同年七月二〇日右交換について許可したこと、川西町は、右交換により右会社に対して移転すべき不用道路敷については、右会社が右交換願において数年前にすでに解散決議をしていることを理由として、これを受ける者へ会社に代えて交付されたい旨申出ていたため、前記新地番設定の取調表に準拠して不用道路敷を分筆し同年五月一四日川西町名義に保存登記したうえ、本件1ないし3の土地に隣接する北ノ山六番五、同番六土地については細原茂雄に、同番七土地(同年四月三〇日同番五土地から分筆)については春日久太郎に、その他の不用道路敷についても各個人にそれぞれ移転登記を経由したが、川西町において取得すべき完成道路敷については、移転登記を経由することなく放置し」とそれぞれ挿入し、同二行目から三行目に「川西村は」とあるのを削除し、同三行目の「路線部分」の次に「(不用道路敷)」と、同五行目の「道路」の次に「(完成道路敷)」とそれぞれ挿入し、同六行目に「川西村」とあるのを「川西町」と、「村道」とあるのを「町道」と、同七行目に「川西町、ついで被告が順次」とあるのを「ついで被控訴人(被告)が」とそれぞれ訂正する。

3  同八行目から九行目にかけて「大正八年一〇月」とあるのを「大正八年六月一〇日および同年一〇月三〇日」と、同九行目に「所有権取得」とあるのを「その所有権を取得し、ついで花屋敷土地株式会社が大正九年四月二〇日右桃園温泉土地株式会社との合併によりその所有権を取得」と、同一一行目に「売買により」とあるのを「売買を原因として」と、同末行に「川西村道(」とあるのを「川西村道(大正一四年以降は川西町道、」と、同裏一行目に「花屋敷路線」とあるのを「花屋敷線」と、同二行目に「許可されている」とあるのを許可され、昭和六年一二月ころまで右会社および控訴人(原告)において、無軌道電車の運転業務を行なつていた」とそれぞれ訂正し、同二行目の「桃園温泉土地株式会社」から同七行目の「いること、」までを削除し、この部分に「本件2の土地については、昭和五年八月免租地成通知がなされ、その地目が土地台帳上軌道敷地に、登記簿上雑種地にそれぞれ変更されたが、」と挿入し、同七行目のの「土地については、」の次に「免租地成通知がなされず、有租地として地租が賦課されていたので、」と挿入し、同九行目の「大正八、九年」から同一二行目の「いたこと、」までを削除し、この部分に「日本無軌道電車株式会社および控訴人はその後本件行政処分がなされた昭和三九年三月二五日当時はもとより昭和四六年一月当時まで、実に約四〇年の長期間にわたり、川西町および被控訴人が本件1ないし3の土地を道路として占有管理してきたことについて、何ら異議を述べたこともないこと、前記土地経営者により新設または拡張された道路については、これを維持、管理することができないため町村に提供され町村道に編入される趨勢にあつたこと、後記多田満願寺地区路線を含む」と挿入し、同一二枚目表三行目に「多田村、多田村」とあるのを「川西町、多田村」と訂正する。

4  同六行目から同裏二行目までを削除し、この部分に「叙上認定の事実、とくに本件1ないし3の土地について租税免除の措置がとられている点、川西町および被控訴人がこれを道路として占有管理してきたことについて長期間にわたり異議がなかつた点を総合すると、本件1ないし3の土地の所有権は花屋敷土地株式会社から川西町にいまだ移転されるに至らなかつたとはいえ、少くとも右会社としてはおそらくとも川西町が前記交換について許可した昭和四年七月二〇日ころ以降これを使用貸借の目的とし、同町が町道として占有管理することに同意し、同町においてその使用権限を取得したこと」と挿入し、同四行目に「川西村」とあるのを「川西町」と訂正し、「寄附」の次に「、交換、無償譲渡」と、同五行目の「事実や」の次に「前提」と同八行目の「甲第一号証、」の次に「前掲」とそれぞれ挿入し、同一三枚目表二行目に「川西村」とあるのを「川西町」と、同二行目から三行目に「同意していたことの反証とはならない」とあるのを「同意し、同町が使用権限を取得したとの前記推認をくつがえすに足りない」とそれぞれ訂正する。

5  同六行目の「第三九号証、」の次に「第五八ないし六四号証、」と、同裏一行目の「八月六日」の次に「多田村村会の諮問、同月一八日兵庫県知事の認可を経て、」とそれぞれ挿入し、同二行目に「一二番地」とあるのを「三番地」と訂正し、同七行目の「一部であり」の次に「、本件5の土地に隣接する同字西万年版四番四」と挿入し、同八行目の「川西市」から同九行目の「受けている」までを削除し、この部分に「同八番七、本件8の土地に隣接する同字東万年阪三番二二(その後に同番二三、同番三六、同番三七が分筆されている。)、本件10の土地に隣接する同一番九の各土地はいずれも昭和七年七月一五日多田村名義に保存登記がなされたうえ、同年八月二六日控訴人に払下げられ、同年九月二六日その旨の移転登記が経由されている」と挿入し、同一二行目に「当時に」とあるのを「が取得した」と、同末行に「を取得して以来」とあるのを「について、右道路の新設以降」とそれぞれ訂正し、「一月当時まで」の次に「約四〇年の長期間にわたり」と、同一四枚目の表五行目の「昭和六年中には」の次に「少くともこれを使用貸借の目的とし、」と、同六行目の「与え」の次に「、多田村はこれにつき使用権限を取得し」とそれぞれ挿入する。

6  同九行目に「八の七の土地」とあるのを「八番七、同四番四、東万年阪三番二二、同一番九の各土地」と訂正し、同一一行目の「照らし、」の次に「叙上認定の事実によつてもいまだ認めがたく、他に」と挿入し、同末行から同裏一行目に「大正一〇年七月頃」とあるのを「昭和四年七月二〇日ころ」と訂正し、同一行目の「昭和六年に」の次に「、これらを使用貸借の目的とし」と挿入し、同二行目に「川西村」とあるのを「川西町」と、同三行目に「各村」とあるのを「各町村」と、同四行目に「川西村」とあるのを「川西町」と、同五行目から六行目にかけて「村道」とあるのを「町道または村道」と、同六行目に「各村」とあるのを「各町村」と、それぞれ訂正し、同九行目の「昭和四年」の次に「一〇月九日」と挿入する。

7  控訴人が当審において提出した証拠を検討しても、右引用にかかる原審の事実認定および判断を動かすに足りない。

三 控訴人は本件1ないし3の土地が新花屋敷温泉土地株式会社が無軌道電車運転のため占用許可を受けた「花屋敷線」の道路敷地であつたとの証拠は全くなく、仮に右土地が道路占有許可を受けた道路敷地であるとすれば、公用制限により無価値に等しいから、これを控訴人の前身(前商号)である日本無軌道電車株式会社が花屋敷土地株式会社から買受ける道理もないと主張する。日本無軌道電車株式会社が本件1ないし3の土地につき昭和四年一〇月九日売買を原因としてその所有名義人となつたことは引用にかかる原審認定のとおりであるが、右売買契約の内容については控訴人において何ら主張も立証もしないところであつて明確でないが、登記には権利変動の態様や過程を如実に表示せず贈与を売買とすることも往々にしてあることであり、真実売買がなされたとしても、新花屋敷温泉土地株式会社が占用許可を受けたのは大正一三年一二月のことであるから、当時すでに本件1ないし3の土地について売買が成立したにかかわらず、その登記手続が遅れたことも考えられないではなく、これらの点を考慮すると、本件1ないし3の土地について右のような登記がなされていることから、ただちに右会社が占有許可を受けた「花屋敷線」に右土地が含まれていなかつたとは断定できない。のみならず無軌道電車は一般交通の用に供する軌道に準ずべきものとして軌道法の準用があり、原則としては道路法上の道路において、主務大臣の特許を受けてその運転業務がなされるものであるから、他に特段の事情の認められない以上、その軌道敷である本件1ないし3の土地は、川西村または川西町道の敷地であつたとみるべきである。

また、控訴人は川西町が訴外金商又一株式会社所有の北ノ山七番一、同番二土地について権限を取得し花屋敷地区路線として供用開始しているとすれば、全く無価値の土地に帰している筈であり、右会社がかかる土地を訴外株式会社三菱銀行に提供し極度額八〇〇〇万円の根抵当権を設定する道理はないと主張する。しかしながら成立に争いのない乙第三四、三五号証、第六九号証によると、右土地は公簿面積合計六七三三平方メートル(約二〇四〇坪)の山林であることが明らかであつて、そのうち道路敷地の占める部分はごく僅か(約五パーセント程度)であることを窺うことができるから、何ら異とするに足りない。

次に、控訴人は本件路線と接続し、その中間に挾まれて存在する宝塚市道についても、本件同様係争中であつたところ、事実上の和解勧試がなされた結果、右道路を宝塚市土地開発公社に売渡して解決したが、控訴人の所有に属する事実上一本の路線敷地のうち、その大半を占める宝塚市道にあたる土地については権限取得行為なしとされ、その一部分の川西市道にあたる土地、すなわち、本件土地についてはこれありとされる等のことは通常あるべき道理はないと主張する。成立に争いのない甲第一、二号証、第七号証、第一〇号証と弁論の全趣旨によると、控訴人が宝塚市に対し右宝塚市道につき、本件におけると同様、道路区域の指定、供用開始処分の無効確認を求める訴訟を提起して係争中であつたところ、事実上の和解が成立し、昭和五〇年一二月一一日宝塚市土地開発公社に右道路を代金一五〇〇万円で売渡して同時に右訴訟を取下げ解決したことを認めることができるけれども、右宝塚市道の供用開始について、宝塚市に権限取得行為なしとされたとの点についてはこれを認めるに足りる証拠はない。宝塚市は控訴人との間で権限取得行為の有無にかかわらず、和解によつて紛争を解決したにすぎないとみるべきであつて、これと本件とは何らの関係もない。

さらに、控訴人は川西町が不用道路敷について払下げの手続をしていながら完成道路敷について取得手続を失念するごときことは全く考えられないから、本件1ないし3の土地は完成道路敷には含まれておらず、もともと交換の対象でなかつたとみるべきであると主張する。本件1ないし3の土地が完成道路敷に含まれており、川西町が不用道路敷との交換によりその所有権を取得したとすれば、しかも登記承諾書が添付されていたとすれば、取得登記手続を失念して放置するがごときことは特段の事情のないかぎり理解できないことである。しかしながら川西町としては本件1ないし3の土地が完成道路敷に含まれるものとしてこれを不用道路敷に代るものとして供用開始し、川西町道として占有管理を始め、ついで被控訴人がこれを引継ぎ川西市道花屋敷地区路線として占有管理してきたことは引用にかかる原審認定のとおりであり、この間川西町および被控訴人がその管理(保存、利用、改良)のため多額の費用を投じてきたことは明らかであるのに対し、日本無軌道電車株式会社および控訴人は約四〇年の長期間にわたり、川西町および被控訴人が本件1ないし3の土地を道路として占有管理してきたことを知悉しながら、これについて何ら異議を述べたことがないことも右認定のとおりであり、とくにこの点は重視さるべきである。したがつて川西町および被控訴人の道路行政においてずさんな点は否定できないが、本件においては証拠が散逸し権限取得行為の存否の点につき直接の証拠がないとはいえ、少くとも花屋敷土地株式会社としてはおそくとも昭和四年七月二〇日ころ本件1ないし3の土地を使用貸借の目的とし、川西町がこれを町道として占有管理することに同意し、同町においてその使用権限を取得したものと推認するにやぶさかでなく、控訴人の以上の主張はいずれも右推認をくつがえすに足りないものというべきである。

四 以上の次第で、控訴人の本訴請求をいずれも失当として棄却した原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないからこれを棄却すべく、民訴法三八四条、九五条、八九条、行訴法七条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 宮崎福二 田坂友男 高山晨)

原審判決の主文、事実及び理由

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

(原告)

一 別紙目録記載の土地につき、被告が昭和三九年三月二五日した川西市道寺畑満願寺線の道路区域の決定および供用開始の各行政処分が無効であることを確認する。

二 被告は原告に対し、金六〇〇万円を支払え。

三 訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並びに第二項につき仮執行の宣言

(被告)

一 本案前

請求の趣旨第一項の訴はこれを却下する。

二 本案

主文同旨の判決

第二当事者の主張

(原告の請求原因)

一 別紙目録記載の土地(以下本件土地という)につき、昭和三九年三月二五日、川西市長は川西市道寺畑満願寺線の路線認定をし、同日被告は同市道の道路区域の決定並びに供用開始の各行政処分(以下本件行政処分という)をした。

被告は、右行政処分と同時に右道路が川西市の営造物になつたものとして、右道路敷地に当る原告所有の本件土地に直径約三〇センチメートルの水道管を敷設して同地を占有するほか、道路法に基づき第三者に対し、道路占用を許可したのみならず、新たに続々とその許可を与えんとしている。

二 しかし原告は未だかつて被告に対し本件土地につき占有使用権限を付与したことはなく、また同地を被告が道路として使用することや同地につきなされた本件行政処分を同意、承認したこともない。

三 従つて本件行政処分は当然無効のもので、原告の右土地所有権は何らの公用制限を受けるものではない。

しかしながら原告は、右行政処分の無効確認を受けなければ、右土地が公物として前記のように一般使用、特別使用に供せられるべく、従つて単なる所有権の確認等の訴によつては目的を達することができない。

四 よつて原告は被告に対し、本件行政処分の無効確認を求め、かつ昭和四三年二月一〇日以降昭和四六年二月九日までの本件土地占拠による一年二〇〇万円の割合による賃料相当損害金の支払を求める。

(被告の本案前の抗弁)

一 原告には本件無効確認を求める法律上の利益がない。

本件寺畑満願寺線(以下本件路線という)は、川西市花屋敷地区から満願寺地区に通ずる幹線道路であるが、この道路自体は大正九年頃川西市の前身川西村および多田村の村道として認定され、道路として供用開始されているもので、昭和三九年三月二五日の川西市長の道路認定並びに被告の本件行政処分は、右道路の引継ぎのための路線名変更および供用開始にすぎない。

右道路は、既に大正年代より川西村、多田村の村道であり、川西村が川西町になり、多田村、川西町が合併して川西市となり、これらの町道、村道が川西市道になつたものであるから、本件行政処分の無効確認を求めても原告には何ら法律上の利益はない。

二 また、かかる原告の地位は現在の法律関係に関する訴によつても目的を達することができるから、原告は行訴法上無効確認の訴の原告適格を有しない。

すなわち、原告は、本件土地は公物として一般または特別使用されているからこれを差止めるため本件処分の無効確認を求める必要があるというが、これらの一般、特別使用を差止めるには、例えば本件土地所有権確認並びに妨害排除請求の訴をもつてその目的を達し得るのであり、これによつてその不利益を排除することができるのであるから、原告は本件処分の無効確認の訴につき原告適格を欠くものである。

(請求原因に対する答弁)

一 請求原因一項中、川西市長が昭和三九年三月二五日本件路線の認定をし、被告が同日本件行政処分をしたこと、被告が右道路の敷地である本件土地に水道管の設置をし、右土地を道路として占有管理していること、本件土地が原告の所有名義となつていることは認める。

二 同二項は否認する。

三 同三項は争う。

(被告の主張)

一 本件路線は、川西市西部の台地の住宅地、花屋敷一丁目から満願寺に通ずる川西市一級市道で、花屋敷地区と多田満願寺地区との間に宝塚市地区があつて宝塚市道がある。

そこで本件土地は、同地のうち別紙目録1ないし3(以下本件1ないし3の土地という)を花屋敷地区路線部に、同目録4ないし10(以下本件4ないし10の土地という)を多田満願寺地区路線部にそれぞれ分けることができる。

二 川西村は大正一四年一一月川西町となり、川西町は多田村その他と合併して昭和二九年八月一日川西市となつたものであり、川西村の村道は川西町の町道に、同町道は川西市道へと、また多田村の村道は川西市道へとそれぞれ引継がれた。

そして前記のとおり、昭和三九年三月二五日川西市市長がした路線の認定および被告のした本件行政処分は後記花屋敷地区路線および多田満願寺地区路線の引継ぎ(路線名変更)の認定および供用開始にすぎない。

三 花屋敷地区路線について

(一) 右路線は、川西村において大正九年路線の認定がなされ、適法な手続のもとで同年四月一日供用開始がなされたものであるが、同年、川西村は住宅地として当時開発発展途上にあつた花屋敷地区の開発のため一部村道を新設拡張し、一部村道を変更した。

これより先大正八年、桃園温泉土地株式会社は、花屋敷地区内の本件1ないし3の土地を分筆のうえ買収し、道路を新設して大正九年一二月四日頃或は遅くとも大正一〇年七月二九日頃川西村に提供したものであり、右提供の法律上の性質は、川西村が村道として占有管理するのに同意したもので、換言すれば、右会社が新設した道路を私人としては管理ができないため公共団体たる川西村に、寄附或は無償譲渡、もしくは移管したものである。

そして右提供により川西村長および川西村は右土地につき路線の認定および供用開始をそれぞれしたものである。

(二) 本件1ないし3の土地について川西村が道路敷として権限を取得したことは次の事実から明らかである。

1 大正九年一二月四日川西村村会では花屋敷(寺畑)地区の村道三〇一号線をのぞく第二九〇、第二九三、第二九四、第三〇二各号線および第四五二号線の付近が住宅地に変じ、右各宅地の経営者において道路を新設或は拡張して最近村道に編入の予定をし、右路線は交通杜絶して存置する必要が認められなくなつたので、右路線を廃止することを決定し、これに基づき川西村村長は大正一〇年七月二九日右路線の廃止の告示をしているのであり、このように川西村が第四五二号線を廃止していることによると、前記桃園温泉土地株式会社の道路の新設、川西村への提供がうかがわれる。

2 右提供に基づき本件1ないし3の土地につき花屋敷地区路線の認定および供用開始がなされ、以後川西村は村道としてこれを占有管理し、川西町ついで被告はそれぞれ町道および市道として占有管理してきたが、原告はこれまで何ら異議を申立てず、旧商号新花屋敷温泉土地株式会社の名で川西村に対し、大正一三年一二月二七日と昭和三年一月二七日の二回、花屋敷地区路線につき、無軌道電車事業のため占用許可の申請をし、その許可を受けている。

右許可申請行為は、本件1ないし3の土地についての右花屋敷地区路線の認定、供用開始につき原告が同意し、右認定、供用開始が有効になされたことを前提とするものである。

3 被告は、本件土地については道路敷としていずれも租税を免除しており、記録上では、本件2の土地については昭和六年から、同1、3の各土地については昭和七年から、また本件4ないし10の土地については昭和六年一二月から租税を免除している。

四 多田満願寺地区路線について

右路線は花屋敷地区路線の建設とほぼ同時に川辺郡多田村地区の村道として一部村道を廃止、変更し、一部新設したものである。

すなわち、大正九年三月三一日多田村村長が西万年阪東万年阪から川西村に達する間の路線一三号のイ線の路線認定をし、同日同村会の議決を経て川辺郡長が同年四月一日右認定許可をした。

右一三号のイ線は昭和六年八月六日廃止され、万年阪線一七号線が新設され路線の変更がなされたものであり、この路線が現在の多田満願寺地区路線であつて川西市に承継された。

右路線の一部廃止変更がなされ一部新設された際、廃止された村道である西万年阪八の七の土地を、多田村は原告に無償譲渡(払下)し、原告はその対価として本件4ないし10の土地を多田村に対し無償譲渡したか或は右両者が各所有にかかる右各土地を交換したものであり、そうでないとしても原告は本件4ないし10の土地を多田村が道路として使用することにつき同意し多田村に移管したものである。

このため多田村および被告は本件4ないし10の土地を自己所有の道路として占有管理してきたものであり、前記のとおり右土地につき租税を免除している。

五 仮に以上の主張が認められないとしても、花屋敷地区路線については大正一〇年七月二九日以降、川西村、川西町、被告が、多田満願寺地区路線については大正九年四月一日以降多田村、被告がそれぞれ公共の用に供する自己所有の道路として、何人からの異議もなく(原告についていえば昭和五、六年頃から何の異議も述べなかつた)平穏かつ公然に占有管理してきたものであり、従つて川西村、多田村の地位を承継した被告は、その道路敷である本件土地の所有権を時効により取得したものであり、少なくとも道路として使用する占有権並びに使用権を時効取得した。

(被告の右主張に対する原告の認否)

一 被告の主張第三項中、桃園温泉土地株式会社が本件1ないし3の土地を道路に築造して川西村に提供したことや道路として占有管理することにつき同意したことはない。

右の如き行為がなされていれば、寄附採納願および村議会の採納決議が存在する筈であるのにこれがないし、川西村が右土地につき任意買収交渉したとか強制収用手続をとつたことをうかがわせる事実も絶無だからである。

二 同第四項中、本件4ないし10の土地につき原告が多田村に譲渡したり道路として使用することにつき同意したことはない。

三 寺畑満願寺線は、宝塚市道一三一四号線と境を接して接続するもと無軌道電車の専用軌道敷であつた。

四 時効の抗弁は否認する。

昭和三九年三月二五日以前において、本件土地につき道路区域の決定がなされたことはなく、従つてそれ以前に被告において同地を占有した事実はない。

第三立証<省略>

理由

第一被告の本案前の抗弁について

被告は、原告に本件行政処分の無効確認を求める法律上の利益がないとの主張し、なるほど昭和三九年三月二五日、川西市長が本件路線の認定をし、被告が本件土地につき本件行政処分をしたことは当事者間に争いがなく、証人森沢修二の証言により真正に成立したと認められる乙第二〇、第二一号証、証人上松石根の各証言によると本件行政処分および川西市長のなした本件路線の認定は、右当時すでに川西市道となつていた路線につき、路線の起点、終点、巾員は変更せずに川西市の前身たる川西村、多田村当時から存在する旧路線名を統一して市道として引継ぐためなされたものにすぎないことが認められるけれども、右各書証によると、本件路線の認定とともに、同路線の道路として供用開始の効力が生じ、かつ旧路線の供用は廃止されたことが認められるのであるから、原告がその所有にかかるものであると主張する本件土地についてなされた本件行政処分が単に旧路線の引継ぎのためになされたものであるにしてもこれと同時に旧路線も廃止された以上、原告は本件行政処分につき無効確認を求める法律上の利益があるというべく、従つて被告の右主張は採用しない。

被告は、原告が現在の法律関係の訴によつて本件行政処分による不利益を排除できるから、その無効確認を求める原告適格がないと主張するが、行訴法上無効等確認の訴の利益は、係争処分の後続処分によつて原告に損害が生じる危険性が存するため、これらの処分の発動前においてその不法な状態を解消し、これらの処分により生じる損害を未然に防止する予防利益がある場合にも認められるものと解されるところ、被告が本件土地を川西市道として占有管理していることは当事者間に争いがなく、被告が同地につき道路法に基づき道路占用の許可を第三者に与ええつつあることは弁論の全趣旨によつて認められるのであつて、この事実によれば、原告には被告の第三者に対する右占用許可により損害が生じる危険がありこれを阻止する予防利益があるということができ、従つて原告は本件行政処分の無効確認の訴につき原告適格があるというべきである。

よつて被告の本案前の抗弁は採用しない。

第二本案について

一 本件行政処分無効確認請求について

(一) 本件土地が登記簿上原告所有名義であること、右土地が現在本件路線の敷地であることは当事者間に争いがない。

成立に争いのない乙第四一、第四二各号証、同第一ないし第一〇号証、証人上松石根の証言、弁論の全趣旨によると、右道路は川西市の南西部花屋敷一丁目から宝塚市道を経て満願寺に通ずるいわゆる阪急沿線北部の住宅地を通過する幹線道路であること、右道路は宝塚市道をはさんで花屋敷地区路線部と多田満願寺地区路線部とにわけることができ、本件1ないし3の土地は前者の路線の同4ないし10の土地は後者の路線の各敷地の一部に当ること、川西村は大正一四年川西町となり、同町は多田町外一村と合併して昭和二九年八月一日川西市となつたこと、以上の事実が認められる。

(二) 花屋敷地区路線について

前掲乙第一ないし第三号証、同第四一号証、証人森沢修二の証言により真正に成立したと認められる乙第一一ないし第一六号証、同第三八号証、成立に争いがない同第三四、三五号証、同第四四号証、第四七号証、その形式および趣旨により公務員が職務上作成したと認められるから真正な公文書と認められる同第二四ないし第二六号証(同第四〇号証の一ないし三と各同じ)、証人上松石根、同森沢修二、同奥田源次郎の各証言によると、川西村では、旧道路法(大正八年四月一一日法律第五八号)が大正九年四月一日施行されたことに伴い、右同日、川西村字釜割谷一番の九先より同字北ノ山一八番地先(いずれも当時の地名)の路線第四五二号線その外につき、同村市長が路線の認定を、川西村が道路区域の決定をし、同日より供用を開始したこと、ところが川西村長は、大正九年一二月四日、川西村村会に対し、「第四五二号線外の路線の付近一帯が住宅地に変じ、土地経営者において道路を新設または拡張し最近村道に編入の予定にして、右路線は交通壮絶し存置する必要を認めない」旨の理由で、右各路線の全部または一部(第四五二号線については、起点は変らず、字北ノ山四番地先から一八番地先まで)の廃止を諮問して、これが可決されていること、川西村長はこれに基づき大正一〇年七月二八日右第四五二号線の路線の一部を廃止する旨告示していること、当時付近の土地経営者によつて道路が新設拡張され、川西村はこれら道路を第四五二号線の廃止された路線部分に代るものとして供用開始したが、原告主張の本件1ないし3の土地は、前記の如く北ノ山四番地先より一八番地先まで新設された道路の敷地の一部であり、川西村は右新設道路につき村道として占有管理を始め、川西町、ついで被告が順次引継ぎ町道についで市道として(花屋敷地区路線)占有管理してきたこと、本件1ないし3の土地は、大正八年一〇月桃園温泉土地株式会社が所有権取得したもので、これを原告の前身(旧商号)たる日本無軌道電車株式会社が昭和四年一〇月九日売買によりその所有名義人となつたが、同会社の更に前身である新花屋敷温泉土地株式会社は、大正一三年一二月および昭和三年一月、前記第四五二号線の一部廃止後一部新設された川西村道(当時花屋敷路線との名称)につき、無軌道電車運転のため道路使用の許可を申請して許可されていること、桃園温泉土地株式会社と合併して本件1ないし3の土地の所有名義人となつた花屋敷土地株式会社は、右第四五二号線の一部廃止後新設された道路の敷地である本件1ないし3の土地について、昭和二年六月九日元番より分割する旨の申請を所轄の税務署長に対してなし、これにより分割がなされていること、本件1および3の土地については、日本無軌道電車株式会社より昭和七年一月免租地成の申告がなされ、その後結局道路管理として租税免除の措置がとられていること、大正八、九年当時は花屋敷地区や多田地区では土地経営者による土地開発が盛んであり、このため土地経営者が道路の新設または拡張をしてこれが村道に提供されることが行われていたこと、本件寺畑満願寺路線の敷地については、未だ登記簿上私人名義の土地があり、現在被告において登記簿上も該私人による寄付名目でその承諾のもとに市道に切換えるなど道路整理中であつて、この作業は順調に行われ、また、川西村、多田村、多田村当時以来被告が道路として占有管理している本件道路については、現在まで他に異議、故障の申出はないこと、以上の事実が認められ、右認定を覆えすに足る証拠はない。

右みてきた、本件1ないし3の土地についての租税免除の点、原告の前身たる新花屋敷温泉土地株式会社に対する道路使用許可がなされている点、大正八、九年当時花屋敷地区、多田地区で土地経営者による道路の新設、拡張およびそれの村道への編入が行われている点その他の認定事実を破棄すると、花屋敷地区にある本件1ないし3の土地は、遅くとも前記第四五二号線の一部廃止につき川西村村会が可決の議決を経て右廃止が川西村長により告示された大正一〇年七月二八日頃には、当時の右1ないし3の土地を所有していた花屋敷土地株式会社(桃園温泉土地株式会社の後身)において川西村に対し、同村が村道として占有管理することに同意していたことを推認することができる(本件1ないし3の土地につき、右会社が川西村に寄附その他により所有権譲渡した旨の被告の主張事実については、前記租税免除の事実や乙第三四、第三五号証に対比すると、前記認定事実をもつても直ちに採用できず、他に右主張事実を認めるに足る証拠はない)。

なお、成立に争いのない甲第一号証、乙第二六号証(同第四〇号証の三)および、同第四七号証中本件1ないし3の土地の地目を軌道敷地とする記載部分は、必ずしも右認定を妨げるものではない。ことに右乙第二六号証(同第四〇号証の三)によると、本件係争全土地のうち本件2の土地のみが、道路敷地としてではなく、軌道敷地として租税免除となつたかの如く窺えるけれども、仮にそうであるとしても、そのことは、前顕各証拠を総合すれば、右土地を道路敷地として川西村において占有管理することに所有者が同意していたことの反証とはならない。

(三) 多田満願寺地区路線について

前掲乙第四ないし第一一号証、成立に争いのない同第一九号証の一、二、同第二三号証、同第三九号証、甲第三号証、証人上松石根、同森沢修二の各証言とこれにより真正に成立したと認められる乙第一七、一八号証、同第二二号証、その形式および趣旨により公務員が職務上作成した公文書であるから真正に成立したと認められる同第二七ないし第三三号証(同第四〇号証の四ないし一〇と各同じもの)を併せ考えると、大正九年三月三一日川辺郡多田村長が同村村会の諮問を経て、西万年阪東万年阪から川西村に達する間の路線一三号のイ線につき路線の認定をし、同年四月一日川辺郡長がこれを認可したこと、右一三号のイ線は、昭和六年八月六日一部(満願寺字西万年阪一二番地先より川西町境界に至る延長二六〇間)廃止され、一三号イ線は万年阪線と名称変更され、満願寺字西万年阪八番の一地先より同字東万年阪三番地先に至るこの延長二〇五間二を新設して多田村により供用開始されたが右新設された路線が多田満願寺地区路線であり、本件4ないし10の土地は右新設道路の敷地であること、右一部廃止された村道の一部であり、本件6の土地に隣接する川西市満願寺字西万年阪八の七(二九平方メートル)の土地を、原告は昭和七年八月二六日払下を受けていること、前記道路の新設以降多田村ついで被告は、これを多田満願寺路線道路として占有管理してきたが、他よりこれにつき何ら異議を述べられたことはなく、原告自身も、大正八年その前身である能勢口土地株式会社当時に本件4ないし10の土地を取得して以来昭和四六年一月当時まで異議を述べたこともなく、また右各土地についてはいずれも昭和六年一二月頃道路敷地として租税免除の措置がとられ、免税されていること、以上の事実が認められ、この認定を左右するに足る証拠はない。

右事実によると、原告は、本件4ないし10の土地を、前記道路の新設がなされた昭和六年中には多田満願寺地区路線の道路敷地として多田村において占有管理することにつき同意を与えたものと推認することができ、右認定を覆えすに足る証拠はない。

なお、被告は、原告所有名義の本件4ないし10の土地は、前記の如く原告が払下を受けた西万年阪八の七の土地と交換されたか、或は多田村に無償譲渡された旨主張するが、前認定の租税免除の事実に照らし、この主張を認めさせるに足る証拠はない。

(四) 右のようにみてくると、本件1ないし3の土地および4ないし10の土地は、花屋敷土地株式会社および原告がそれぞれ大正一〇年七月頃および昭和六年に、花屋敷地区路線および多田満願寺地区路線の道路敷地として川西村および多田村が各占有管理することにつき、右各村に対し同意の意思表示をしたものであるから、当時施行されていた旧道路法においても、川西村および多田村は、それぞれ本件1ないし3の土地、同4ないし10の土地につき権原に基づき村道として使用し得る機能を有していたもので、従つてまた右各村の地位を承認した被告は、右権原、機能を取得したものであるというべきである。

従つてまた、原告は本件1ないし3の土地につき昭和四年所有権を取得したが、同所有権は道路としての公用制限を受けるもので、これに反する私権の行使が制限されたものであるということになる(旧道路法六条、道路法四条)。

そうすると、その余につき判断するまでもなく被告が本件土地について市道として使用する権原を有しないことを理由に、右土地に対する本件行政処分(同処分が花屋敷地区路線および多田満願寺地区路線の名称変更、統一引継ぎのためのものにすぎないことは前記のとおりである)が無効であることの確認を求める原告の請求は理由がないといわなければならない。

二 損害賠償請求について

被告が本件土地を本件路線の道路敷として占有使用していることは当事者間に争いがないが、四項で認定した如く、被告は本件土地につき本件路線の道路敷として使用占有する権原、機能を有するのであるから被告の右占有使用は適法であり、従つて被告に対し右占有使用による賃料相当損害金の支払を求める原告の請求は理由がないこととなる。

第三よつて原告の本訴請求はいずれもこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、行訴法七条により、主文のとおり判決する。

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